歴史

三代目 仲野清次郎の歩み

三代目・仲野清次郎(醇一)は詩人を目指していましたが、親の説得もあり文学部進学を諦め、東京農業大学農芸化学科に進み、醸造学を学びます。

三代目清次郎は、信州諏訪の銘醸蔵「真澄」に何度も訪ね、教えを請いました。当時から真澄は、進取の気性に富む蔵元・宮坂勝氏と杜氏・窪田千里氏が努力を重ね、全国新酒鑑評会で上位を独占する銘醸蔵でした。真澄諏訪蔵で発酵中の醪から発見された協会七号酵母は全国の酒蔵へ普及し、日本酒業界の発展に寄与してきました。

後に、自分の酒造りの師匠は窪田杜氏、酒哲学の師は宮坂氏だと語り、四代目である息子に「益美(ますみ)」と名付けるほど真澄に心酔していました。物資の少ない終戦時、造った分だけ売れる時代に、酒質に命を懸ける人達との出会いは驚きであったようです。

真澄から酒造りを学んだ三代目清次郎は、他社に先駆けて吟醸酒や生酒を発売するなど、日本酒の楽しみ方を広げるべく革新的な日本酒を発売しました。また、より多くの方に吟醸酒を楽しんでもらいたいという思いから、東京を中心とした県外に販路を求めるなど販路拡大にも積極的でした。

吟醸酒の普及

ページトップへ