財団法人出羽桜美術館
DEWAZAKURA MUSEUM OF ART

<展示例> 季節によって展示内容が変わります。
美術館ご案内 「日本古陶磁」展 平成8年11月30日〜平成9年2月23日
歩いてきた道
古美術を蒐め、その美しさを慈しむことは、若い樹木が、年輪を重ねてゆくと同じである。それぞれの場に執念く生きて、その樹格を整えてゆくように、たとえ分野は狭くとも、それなりの品位を備えたいと思いながら、その理想の遥かさを覚えるばかりである。ささやかな李朝期の陶磁と工芸を、展示公開しようとするいま、自分を赤裸々にするためらいと、御覧下さる方々に、少しでも美の共感をお分け出来るかという想いが、心を重くする。私が李朝陶磁に、斎藤真一に激しく揺さぶられ、それはまさに揺さぶられるという他のない程の感興を覚えたのは、在京の学生の時であった。それ以来今日まで、ひたすら韓国古美術にひかれ、斎藤真一に心をふるわせて、人生の半ばを過ごして来た。想えば永い道程でもあったし、或る時は一紙の経典をめくるような、束の間の歴史でもあった。李朝陶磁には、限りない人間の温もりがある。そして人間の血液の流れる音が聴える。ある時はなごみを送り、ある時は哀しさを歌い、白い磁肌は堅くとも、冬寒い酒蔵の片隅でさえ、充分に耐え得る暖かさをもって、常に私の側にあった。学術的な考察を超えて、人の側にある美しさ、これが今日まで私をとらえて来た、李朝工芸の美の本質に他ならない。なぜ李朝期の工芸が人を魅了するのか、その無心の美というより他にない。灰柚の日本の陶磁を、白い肌に変えたのも、李朝の工人達であった。ほの白い創成期伊万里が如何に日本人の心をとらえたか、それは歓喜というにふさわしいものであったろう。李朝はもとより、常に底辺の人達を描き続けた斎藤真一の絵に涙して来た遍歴の旅であった。桜の美術、小さな箱達、近代文士の書、日本六古窯等は、一点豪華主義でもないし、自身の感性と情熱と足だけで求めた、座辺の器である。この座辺の美しさを、一人でも多くの方々に、分かち得ることが出来れば望外の幸せである。
財団法人出羽桜美術館