財団法人出羽桜美術館分館 斎藤真一心の美術館

  SHINICHI SAITO MUSEUM OF HEART


museum saito


入口(ENTRANCE1)


人間は、哀しみを抱えて生きている。
素朴にものを見つめると、
この世に存在するということすら
涙するほど愛しいものです。
花は傷つき散って行くが故に美しいのだと想います。
私は絵かきだが、表面だけの奇麗事より、生命の哀しさと喜び、
そして、尊さを一歩でも掘り下げて内なるものを見たいと何時も思っています。
仲野清次郎氏は、李朝期の作品の美術館を創り、
物の哀れさの初心の美学を見つめている人です。
その分館に私の絵を飾っていただく事は、

無上の慶びでございます。

斎藤 真一

 


斎藤真一 <プロフィール>

1922(大正11)年、岡山県児島郡味野町(現・倉敷市味野)に生まれる。
尺八の大師範を父にもち、幼少の頃より芝居、浄瑠璃、浪曲といった日本古来の芸能に興味をもつ。
岡山師範で岸田劉生の作風に惹かれてデッサンの勉強に励む。
1941(昭和16)年、19歳のとき、上京して川端デッサン研究所に学ぶ。
翌年、東京美術学校師範科(現・東京芸大)へ入学。
在学中、学徒出陣で海軍に3年従軍する。
1948年、東京美術学校卒業。
戦後静岡県伊東高校に勤めるかたわら制作をつづる。
第4回日展に《鶏小屋》で入選を果たし、以後、岡山、静岡などの学校で教鞭を執る傍ら、
日展、光風会へ入選し、画家としての基盤を築きあげる。
1959年、パリ留学。ヨーロッパにジプシーなどの芸人を求めて放浪生活を送る。
フランス、イタリアを中心に、ヨーロッパを制作旅行し、 藤田嗣治と親交を結ぶ。
帰国後、津軽三味線の音色にひかれ、東北地方を旅するうち瞽女(ごぜ)を知る。
1960年代から70年代にかけて津軽、北陸を旅して、盲目の旅芸人「瞽女」(ごぜ)に出会い、
その後の彼の大きなテーマの一つとなった《瞽女》シリーズを手掛ける。
1971(昭和46)年、第14回安井賞展佳作に入賞。
越後、信濃に瞽女を訪ね歩き2年目に高田の杉本キクエさんに出会い、多くの瞽女の遍歴した足跡を記録。
瞽女の心象の世界を描き続け独自の画境を生む。
『瞽女=盲目の旅芸人』(1972年・日本放送出版協会刊)は、第21回日本エッセイストクラブ賞を受賞。
『越後瞽女日記』(1973年・河出書房新社刊)は、同年のADC賞を受賞。
人人会は5回展で退会。
1985(昭和60)年には、明治期に浅草、吉原に生きた遊女の実態を検証し、《明治吉原細見記》を描き、
絵画シリーズとともに、『絵草子 吉原炎上』(1985年・文芸春秋刊)を出版し、映画や舞台で広く上演される。
1994年9月18日没、享年72才。


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